2019年4月1日、新元号が発表となり”令和(れいわ)”に決定しました。
達筆な字でしたが、誰が書いたのか気になるところですよね。
菅官房長官が掲げた新元号”令和”の字を書いた人は、書道家の茂住修身(もずみおさみ)さんです。
茂住修身さんは、平成の時に元号を書いた”河東純一さん”の後輩にあたり、内閣府大臣官房人事課事例係に所属している辞令専門官です。
新元号”令和”を書いたのは発表の直前

新元号は何日も前から書かれて準備されているわけではなく、実は発表のかなり直前に書いているのです。
2019年4月1日の新元号発表までのスケジュールはこのような感じです。
午前9時半:有職者懇談会にて、複数の新元号案を検討
午前10時20分〜:衆参両院の正副議長・全閣僚の意見を踏まえて閣議で検討
午前11時15分頃:新元号決定
午前11時半:菅官房長官が発表
新元号が決定したのは当日の朝11時15分ごろ。
そこから発表までの約15分の間に、書いているのです。
事前に練習することもできませんし、失敗は許されませんからかなりの緊張感ですよね。
新元号”令和”を書いた書道家は誰?

新元号を書いた(揮毫した)のは一体誰なのでしょうか?
新元号を書いたのは、書道家の 茂住修身さん(1956年生まれ) です!
所属:内閣府大臣官房人事課辞令係
役職:辞令専門官
字を書くことを専業にする国家公務員である「辞令専門官」の方です。
辞令専門官とは、公務員試験で採用されるのではなく書道家級の腕を持つ方が任命される役職です。
“平成”を書いた人は、同じく「辞令専門官」の河東純一さんでした。
茂住修身さんは河東純一さんと同じく大東文化大学を卒業しており、後輩にあたります。
平成を書いた河東純一とはどんな人?

- 名前:河東純一
- 生年月日:1946年生まれ
- 出身:茨城県
河東純一の経歴
1974年(当時28歳)で内閣総理大臣官房の人事課辞令係に配属。
1980年(当時34歳)で前任者が退官したことにより、辞令専門官に就任しています。
定年退官までの30年までの間に書いた辞令書・官記などはなんと20万枚以上!
2007年に(当時61歳)で退官後、埼玉県にて書道教室を開いています。
平成を書いた時の感想
“平成”を書いた当日について、河東純一さんは以下のように語っています。
発表会見の直前、揮毫のために入った会議室で鉛筆書きのメモを提示された。「平成」だった。目にした瞬間、直感的に思った。「文字の画数が少ない。書きづらい」
もう一つの戸惑いは、三つの元号候補を伝えられると思っていたのに、示されたのが平成だけだったことだ。それぞれと、清書のためにと特殊な紙「奉書紙」4枚を用意していた。
出典:ヤフーニュース
やはり直前に発表されていきなり書いたようですね。
“平成”を4枚書いて、最後の一枚を発表用にしたとのことです。

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